スピリチュアルが〝怪しい〟とされる理由

〝スピリチュアル〟と聞くと「怪しい」と条件反射的に感じてしまう、またはそう思われる風潮が特に日本では某コーヒーチェーン店でコーヒーを注文するのと同じ位主流になっていることと思う。

それでも以前よりは、ビジネス業界などでマインドフルネスなどの瞑想が見直されてきている点もあり幾分〝スピリチュアル〟という言葉に抵抗がなくなってきているとは思うのだが、それでも依然、〝スピリチュアル〟という言葉に対する、最早アレルギーといっても良いだろうこの反応は、〝本当の自己〟という免疫が落ちている現代の日本人にはその細胞深くまで根付いている。

その要因は様々あると思うのだが今日はその中の1つと思われる理由を取り上げたいと思う。

誤解を恐れず端的に言ってしまえば、所謂〝スピ〟と言われる人達の中に自我の弱さから目を背け〝全能感〟即ち〝躁状態〟のその意識を置いている人が多く見受けられること。

勿論、中には素晴らしい人間性を兼ね備えた方もいらっしゃる。

が残念ながらごく僅かとしか言いようがない。

かといってスピの人達に何か悪気があるかといえばそうではない。

人の為に何か出来る事はないか、真剣に考えている方々が殆どだろう。

ただ、自我の部分にぽっかりと抜け落ちている部分があり、そこに気付いていない、又気付き向き合うことを恐れている。

これは何もスピリチュアルを公言している人に限ったことではない。

自我が未成熟な為、自分の弱い部分(抑鬱状態)を受け入れられない、そんな自分を保持出来ない。

故に「自分は人とは違う。だって上と繋がれるのだから」という躁状態に自身のマインドを置いて置かざるをえない。

ともすればこれは自分を守る為に編み出した巧みな手段なのだ。

意識が上にばかり向いていて、自我という地に脚がついていないのだから、そのなんとも心許無いフワフワ感をある意味他の人々に見切られ、それが地下水脈を伝わって〝怪しい〟に至っているとも言えるかもしれない。

「人の為」がいい事だという道徳的観念がある。

故に「自分の為」は良くない事だと勘違いし、自分を満たすより前に他人を満たすことを是としてしまう。

けれどもそれは本当の意味での利他ではないと私は思うのだ。

人の為に何かしている自分を認めて欲しいが故に他人の為になる事をする。

そうでなければ自分の存在価値などないかの様に。

そうではない。

貴方は存在するだけで充分に価値がある。

生まれてきただけでとても価値のある存在なのだ。

そのことを理屈ではなく、腑に落ちて体感した時、

貴方の行動は本当の利他となる。

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