2016/09/27
この多次元的世界には根源的エネルギーが存在している。
私達の認識しているこの世界に存在しているもの全てには
その根源的エネルギーなるもの(在り方としては愛とも美といえる)が含まれていて、
謂わばココに存在するものはそれらの表象の結果に過ぎない。
全てはフラクタル。
あらゆるヒントはあちこちに点在していて
私達はそれらをあらゆる次元から発見することが出来る。
その最たる例が
「意識の構造」と「多次元的世界の構造」
である。
正直、それらが本当に真理なのかどうか、私には分からない。
確かめようもない。
ただ、私が真理と感じたそれらの事を同じように真理と感じた人々が
古代ギリシャに始まり、宗教、哲学、心理学etc…
存在したというだけだ。
だからと言ってそれが真理だという裏付けには決してならない。
単純に、
人間の脳の、ある回路 が繋がった時、人は真理だと思わざるおえないモノを認識する、というだけなのかもしれない。
真理と感じる多次元的なその世界が本当に存在するかもしれない(その脳の回路が繋がるとその真理の世界にアクセスしやすくなるのかもしれない)
し
そんなものは本当は存在などしていないで、そう感じるだけの、単なる脳の防衛機能なのかもしれない。
それが本当のところどうなのか、
今のところは確かめようがない。
けれどもその認識したものが真理かどうかなんて、正直どうでもいいのだ、私は。
確かめようのない事をいくらどうこうしてもどうしようもない。
ただ1つの真実。
それだけが私にとっては大切なのだ。
貴方が自分の本質(魂)と繋がることが出来たなら、
アクセスすることが出来たなら、
それは
そこから湧き出てくる価値は
今の社会刷り込みなどには触れていない無垢なもの。
そこからの声が聴けたなら
周囲に影響されているわけではない
己の価値観なるものが確実に貴方の中に存在してくる。
社会で言われている価値は
己の価値観を実行する為、
己の本質をこの世界で躍動させる為の
単なる方法論やツールであるに過ぎず、
その先に、本当に実現したいと思うそれぞれの価値がある、
という事実を認識することが出来る。
貴方が世界の根源(本質)と繋がることが出来たなら、
自分ではない、対象となるものが存在することの有難さを心の底から実感する。
自分という存在が目に見えて在る、という事の素晴らしさを
その身体をツールとして
自身の本質を外の世界へ躍動させることの素晴らしさを実感する事が出来る。
そして何より
自分の奥から溢れ出る愛を体感する事が出来る。
自分の本質や世界の本質と繋がる人が増えたなら、
社会は確実に変わっていく。
私はそう、思うのです。
私達の認識しているこの世界に存在しているもの全てには
その根源的エネルギーなるもの(在り方としては愛とも美といえる)が含まれていて、
謂わばココに存在するものはそれらの表象の結果に過ぎない。
全てはフラクタル。
あらゆるヒントはあちこちに点在していて
私達はそれらをあらゆる次元から発見することが出来る。
その最たる例が
「意識の構造」と「多次元的世界の構造」
である。
正直、それらが本当に真理なのかどうか、私には分からない。
確かめようもない。
ただ、私が真理と感じたそれらの事を同じように真理と感じた人々が
古代ギリシャに始まり、宗教、哲学、心理学etc…
存在したというだけだ。
だからと言ってそれが真理だという裏付けには決してならない。
単純に、
人間の脳の、ある回路 が繋がった時、人は真理だと思わざるおえないモノを認識する、というだけなのかもしれない。
真理と感じる多次元的なその世界が本当に存在するかもしれない(その脳の回路が繋がるとその真理の世界にアクセスしやすくなるのかもしれない)
し
そんなものは本当は存在などしていないで、そう感じるだけの、単なる脳の防衛機能なのかもしれない。
それが本当のところどうなのか、
今のところは確かめようがない。
けれどもその認識したものが真理かどうかなんて、正直どうでもいいのだ、私は。
確かめようのない事をいくらどうこうしてもどうしようもない。
ただ1つの真実。
それだけが私にとっては大切なのだ。
貴方が自分の本質(魂)と繋がることが出来たなら、
アクセスすることが出来たなら、
それは
そこから湧き出てくる価値は
今の社会刷り込みなどには触れていない無垢なもの。
そこからの声が聴けたなら
周囲に影響されているわけではない
己の価値観なるものが確実に貴方の中に存在してくる。
社会で言われている価値は
己の価値観を実行する為、
己の本質をこの世界で躍動させる為の
単なる方法論やツールであるに過ぎず、
その先に、本当に実現したいと思うそれぞれの価値がある、
という事実を認識することが出来る。
貴方が世界の根源(本質)と繋がることが出来たなら、
自分ではない、対象となるものが存在することの有難さを心の底から実感する。
自分という存在が目に見えて在る、という事の素晴らしさを
その身体をツールとして
自身の本質を外の世界へ躍動させることの素晴らしさを実感する事が出来る。
そして何より
自分の奥から溢れ出る愛を体感する事が出来る。
自分の本質や世界の本質と繋がる人が増えたなら、
社会は確実に変わっていく。
私はそう、思うのです。
コメントを残す