2016/08/21
例えば、
『本当の “ 悟り ” とは夢から覚めるようなものだ』
という表現もあるが
皆んなが皆んな、夢から覚める必要はない。
何故ってもしかしたら、
私達人間は
この、多次元的宇宙の根源的エネルギーの観ている夢の中で
これは“ 現実 ” という世界なんだと勘違いして必死に生き、
そして愛を育くむ。
それこそが生まれてきた意味なのかもしれないから。
皆んなが皆んな、これが夢だと気付いてしまったら
この夢の“ 現実 ” という世界自体の存在意味がなくなってしまうのかもしれない。
この“ 現実 ” 世界は様々な役割の人がいて初めて成立するのです。
擬人的表現になってしまいますが
多次元的宇宙の根源的エネルギーは
自身の夢の中で、皆んなが愛を育くむのをみたいのかもしれません。
そして擬似的な幸せに束の間、浸ってみたいのかもしれない。
争う相手がいることさえ、
もしかしたら根源的エネルギーからしたら幸せな事なのかもしれない。
夢から覚めてしまったら、
この世には本来、自身しか存在していないのだから。
『本当の “ 悟り ” とは夢から覚めるようなものだ』
という表現もあるが
皆んなが皆んな、夢から覚める必要はない。
何故ってもしかしたら、
私達人間は
この、多次元的宇宙の根源的エネルギーの観ている夢の中で
これは“ 現実 ” という世界なんだと勘違いして必死に生き、
そして愛を育くむ。
それこそが生まれてきた意味なのかもしれないから。
皆んなが皆んな、これが夢だと気付いてしまったら
この夢の“ 現実 ” という世界自体の存在意味がなくなってしまうのかもしれない。
この“ 現実 ” 世界は様々な役割の人がいて初めて成立するのです。
擬人的表現になってしまいますが
多次元的宇宙の根源的エネルギーは
自身の夢の中で、皆んなが愛を育くむのをみたいのかもしれません。
そして擬似的な幸せに束の間、浸ってみたいのかもしれない。
争う相手がいることさえ、
もしかしたら根源的エネルギーからしたら幸せな事なのかもしれない。
夢から覚めてしまったら、
この世には本来、自身しか存在していないのだから。
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