2016/05/05
思考とは脳のはたらきによるものです。
そして感情(感覚)も脳のはたらきによって認識されるもの。
扁桃体が内部・外部刺激によって刺激を受けるとそれが脳へ送られゆらぎを通し身心体へいき意識、感情、感覚として認識されます。
結局、脳を媒体として私達は認識をしているのなら
思考と感情、感覚は結局脳の産物にすぎない。
結局、自身の認識可能な枠の範囲のものでしかない。
確かにその通りです。
ただしそれは表層次元の認識においての場合のこと。
私達が魂と感じる部分、
宇宙本体のエネルギーの欠片は文字通り、我々の存在する宇宙を含んだ多次元的宇宙の本体と繋がっています。
その圧倒的な偉大さを人は神や愛と表現したのだと私は考えているのですが(HPコンセプト欄下部 『核』『自己との対話とは』 参照)
深い部分でその自己の奥に存在する宇宙本体エネルギーの欠片とアクセスすると
そこには自分の枠の範囲外での気付き、答え、ヒントが隠れているのです。
その“自己に存在する宇宙本体エネルギーの欠片”は
宇宙本体エネルギーと、量子物理学的連動をもっています。
自身内部の欠片は又、
宇宙本体からの波動、波長のようなものを媒介しているものでもあるのです。
そして欠片にアクセスし、
宇宙本体からの波動、波長のようなものを
各々の得意とする翻訳しやすいツール(言語然り、音楽やダンス、イメージetc)へ変換し認識させてくれるのが脳でもあるのです。
所謂思考や表層的感覚、感情、
これは確かに脳による認識です。
しかし更に深い感情や感覚、
これは脳を通して更に深い、
“自分の奥に存在する宇宙本体と連動しているエネルギーの欠片”
“自身の本質のエネルギー”
“自身の核”
にアクセスして得られるものなのです。
そして感情(感覚)も脳のはたらきによって認識されるもの。
扁桃体が内部・外部刺激によって刺激を受けるとそれが脳へ送られゆらぎを通し身心体へいき意識、感情、感覚として認識されます。
結局、脳を媒体として私達は認識をしているのなら
思考と感情、感覚は結局脳の産物にすぎない。
結局、自身の認識可能な枠の範囲のものでしかない。
確かにその通りです。
ただしそれは表層次元の認識においての場合のこと。
私達が魂と感じる部分、
宇宙本体のエネルギーの欠片は文字通り、我々の存在する宇宙を含んだ多次元的宇宙の本体と繋がっています。
その圧倒的な偉大さを人は神や愛と表現したのだと私は考えているのですが(HPコンセプト欄下部 『核』『自己との対話とは』 参照)
深い部分でその自己の奥に存在する宇宙本体エネルギーの欠片とアクセスすると
そこには自分の枠の範囲外での気付き、答え、ヒントが隠れているのです。
その“自己に存在する宇宙本体エネルギーの欠片”は
宇宙本体エネルギーと、量子物理学的連動をもっています。
自身内部の欠片は又、
宇宙本体からの波動、波長のようなものを媒介しているものでもあるのです。
そして欠片にアクセスし、
宇宙本体からの波動、波長のようなものを
各々の得意とする翻訳しやすいツール(言語然り、音楽やダンス、イメージetc)へ変換し認識させてくれるのが脳でもあるのです。
所謂思考や表層的感覚、感情、
これは確かに脳による認識です。
しかし更に深い感情や感覚、
これは脳を通して更に深い、
“自分の奥に存在する宇宙本体と連動しているエネルギーの欠片”
“自身の本質のエネルギー”
“自身の核”
にアクセスして得られるものなのです。
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