2021/05/17
日本では、
カウンセリングとは弱い者が受けるもの。
というイメージが、発達理論が浸透しシャドーとの取組みの重要性が認識されてきた今でさえも、残念ながらまだまだ根強く残っている。
分かりやすい目標設定によってすぐに結果が出たかの様に感じるコーチングのほうがキラキラと見えてしまうのは致し方ないとも思う。
そもそも、以前も話したように、コーチングとカウンセリングを比べること自体おかしな話なのだが世間では良い対比として取り沙汰されることが多いので、まずは世間に於けるカウンセリングの誤解を解きたい、と思う次第である。
ここで、敢えて二項対立的な表現を使って言うならば、
カウンセリングこそ、本当に強い者でなければ受けられない。
カウンセリングとは謂わば、自身の内的意識(無意識下も含む)の地図をつくっていく作業。
何が出てくるか分からない。
どの位の広さなのかも分からない。
いつ終わるかも分からない。
そんな分からないづくめのこんな作業がどうして弱き者に出来ようか。
カウンセリングとは、
普段現実と信じて疑わないこの世界からトンネルを抜けた別の世界を探検しながら様々な存在と出逢い、そして経験し、思いもしなかった世界の全体像に気付いていく。
そんな作業なのである。
カウンセリングとは弱い者が受けるもの。
というイメージが、発達理論が浸透しシャドーとの取組みの重要性が認識されてきた今でさえも、残念ながらまだまだ根強く残っている。
分かりやすい目標設定によってすぐに結果が出たかの様に感じるコーチングのほうがキラキラと見えてしまうのは致し方ないとも思う。
そもそも、以前も話したように、コーチングとカウンセリングを比べること自体おかしな話なのだが世間では良い対比として取り沙汰されることが多いので、まずは世間に於けるカウンセリングの誤解を解きたい、と思う次第である。
ここで、敢えて二項対立的な表現を使って言うならば、
カウンセリングこそ、本当に強い者でなければ受けられない。
カウンセリングとは謂わば、自身の内的意識(無意識下も含む)の地図をつくっていく作業。
何が出てくるか分からない。
どの位の広さなのかも分からない。
いつ終わるかも分からない。
そんな分からないづくめのこんな作業がどうして弱き者に出来ようか。
カウンセリングとは、
普段現実と信じて疑わないこの世界からトンネルを抜けた別の世界を探検しながら様々な存在と出逢い、そして経験し、思いもしなかった世界の全体像に気付いていく。
そんな作業なのである。
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