2019/10/14
「自分に愛される価値などない」
故に
「自分に存在意味などない」
他人は「そんなことはない」と言う。
「貴方には価値がある」と。
そんな理屈は分かっているのだ。
そんな事は重々承知してるのだ。
だけども「自分に愛される価値などない」という自動思考は理屈では塗り替えられない、
なんともしっくりとした腑に落ちた納得感を伴っているのだ。
何故ならそれは、〝体験に裏打ちされた〟ものだから。
そう、彼等は体験しているのだ。
自分が必要とされていないという体験を。
それは記憶に残っているものかもしれないし、そうでないかもしれない。
徐々に徐々にそれは確信に至ったのかもしれないし
余りに辛すぎるその時の事を賢い脳は目に触れぬよう、分厚い金庫の中に閉じ込めているのかもしれない。
それはいつの体験か分からない。
この世に生まれでた幼児期の体験かもしれないし
まだこの世に出てくる前のお腹の中での体験かもしれない。
分からないけど体験している。
だからそこに言い得ぬ納得感が伴う。
幼児期に、自分が人として愛されているという体験を持つことはとても重要で
それは後々の心の成長に繋がるとは周知の事実だろう。
これを実際の現象としてもう少し詳しくみていくと
幼児期の養育者との所謂愛着障害は右脳の発達に影響する。
右脳とは非言語的、情緒的な分野を認識する場所である。
その右脳が未発達ということはどういうことか。
一般的に左脳は言語、右脳は非言語、と言われている。
しかし、文字言語習得の初期段階は図形認識を司る右脳を中心に行われていくという説があるのだ。
(ジュリアン・ジェインズ 「右半球は神の座である」より)
言語習得の初期段階というのは大体2歳〜とされている。
その頃にその言語習得をしていく際に重要な役割を担う右脳が未発達ということは、後々言語化されていく意識、顕在意識が脆弱、つまりは無意識部分の影響を多大に受けやすくなる。とも言えるのではないだろうか。
その右脳の未発達を通しておこってくる症例をあげていくと、
(その重度は、0歳から2歳半頃迄、その愛着障害の始まった時期が早ければ早いほど大きいのだが)
統合失調症など精神病水準から
自己愛性、境界性などを含むパーソナリティ障害、
強迫性、パニック障害などを含む神経症水準など多岐に渡る。
そして特徴として、右脳の未発達な場合、解離が起こりやすくなる。
(解離についても様々な誤解があるのでいつかまた、解離については詳しく述べる場を設けたいと思う。)
幼児期における愛着障害。
それはつまり、養育者からの情動調節の欠如である。
愛着障害の人々とは情動が調節されないことが当たり前になっていた人々、なのだ。
少し乱暴な言い方ではあるが、
情動が調節されない、という事は、愛されたという感覚が持てないということでもあると私は思う。
このようにみていくと、では責任は全て幼児期に情動調節を愛着のやり取りをキチンと出来なかった養育者にあるのだろうか。
答えは〝否〟である。
そうとも言い切れないのだ。
何故ならその養育者も、同じ愛着障害の可能性があるからである。
母親の愛着障害は、子供の右脳の皮質辺縁系回路に刷り込まれそして取り込まれていく。
これを世代間伝達という。
そのような伝達が、当人も気付かない内に脈々と受け継がれてきたのかもしれないのだ。
愛着障害は世代間を越えて受け継がれていく。
ならばここで、貴方のところでそれを食い止めるしかない。
ではどうやって?
次回は私の経験もまじえながら実践的アプローチについて述べていきたいと思う。
自分には愛される価値などない、そう思っている貴方に。
故に
「自分に存在意味などない」
他人は「そんなことはない」と言う。
「貴方には価値がある」と。
そんな理屈は分かっているのだ。
そんな事は重々承知してるのだ。
だけども「自分に愛される価値などない」という自動思考は理屈では塗り替えられない、
なんともしっくりとした腑に落ちた納得感を伴っているのだ。
何故ならそれは、〝体験に裏打ちされた〟ものだから。
そう、彼等は体験しているのだ。
自分が必要とされていないという体験を。
それは記憶に残っているものかもしれないし、そうでないかもしれない。
徐々に徐々にそれは確信に至ったのかもしれないし
余りに辛すぎるその時の事を賢い脳は目に触れぬよう、分厚い金庫の中に閉じ込めているのかもしれない。
それはいつの体験か分からない。
この世に生まれでた幼児期の体験かもしれないし
まだこの世に出てくる前のお腹の中での体験かもしれない。
分からないけど体験している。
だからそこに言い得ぬ納得感が伴う。
幼児期に、自分が人として愛されているという体験を持つことはとても重要で
それは後々の心の成長に繋がるとは周知の事実だろう。
これを実際の現象としてもう少し詳しくみていくと
幼児期の養育者との所謂愛着障害は右脳の発達に影響する。
右脳とは非言語的、情緒的な分野を認識する場所である。
その右脳が未発達ということはどういうことか。
一般的に左脳は言語、右脳は非言語、と言われている。
しかし、文字言語習得の初期段階は図形認識を司る右脳を中心に行われていくという説があるのだ。
(ジュリアン・ジェインズ 「右半球は神の座である」より)
言語習得の初期段階というのは大体2歳〜とされている。
その頃にその言語習得をしていく際に重要な役割を担う右脳が未発達ということは、後々言語化されていく意識、顕在意識が脆弱、つまりは無意識部分の影響を多大に受けやすくなる。とも言えるのではないだろうか。
その右脳の未発達を通しておこってくる症例をあげていくと、
(その重度は、0歳から2歳半頃迄、その愛着障害の始まった時期が早ければ早いほど大きいのだが)
統合失調症など精神病水準から
自己愛性、境界性などを含むパーソナリティ障害、
強迫性、パニック障害などを含む神経症水準など多岐に渡る。
そして特徴として、右脳の未発達な場合、解離が起こりやすくなる。
(解離についても様々な誤解があるのでいつかまた、解離については詳しく述べる場を設けたいと思う。)
幼児期における愛着障害。
それはつまり、養育者からの情動調節の欠如である。
愛着障害の人々とは情動が調節されないことが当たり前になっていた人々、なのだ。
少し乱暴な言い方ではあるが、
情動が調節されない、という事は、愛されたという感覚が持てないということでもあると私は思う。
このようにみていくと、では責任は全て幼児期に情動調節を愛着のやり取りをキチンと出来なかった養育者にあるのだろうか。
答えは〝否〟である。
そうとも言い切れないのだ。
何故ならその養育者も、同じ愛着障害の可能性があるからである。
母親の愛着障害は、子供の右脳の皮質辺縁系回路に刷り込まれそして取り込まれていく。
これを世代間伝達という。
そのような伝達が、当人も気付かない内に脈々と受け継がれてきたのかもしれないのだ。
愛着障害は世代間を越えて受け継がれていく。
ならばここで、貴方のところでそれを食い止めるしかない。
ではどうやって?
次回は私の経験もまじえながら実践的アプローチについて述べていきたいと思う。
自分には愛される価値などない、そう思っている貴方に。
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